戦時下の美術表現

日中事変から先、画家も世間に合わせて変質していくようです。いわゆる従軍画家の登場です。最も早いのは上海に従軍した小早川篤四郎ら3人、ついで向井潤吉鶴田五郎らが陸軍従軍画家として戦地に赴いたようです。戦争画は人気を呼び第一回聖戦美術展は大成功したようでした。しかし二回目以降は藤田嗣治の「哈爾哈河畔之戦闘」以外はあまり話題に上らなかったようです。日中事変の長期化で従軍熱も下火になり飽きられたということです。

制作中の猫
制作中の猫

 太平洋戦争が始まって、日本でも世論に沿った美術運動が行ったようです。大日本海洋美術協会、陸軍美術協会、海軍従軍美術家倶楽部、大日本航空美術協会等々の協会が出来ました。またそれらの関係した美術展もありました。


 モダニズムの美術会派は「特別高等警察(特高)」によって厳しく取りしまわれたようです。 超現実主義は共産主義に通じていると嫌疑をかけられたようでした。(アンドレ・ブルトンら欧州の超現実主義者たちが共産主義に傾倒したせいでしょうか?)

 戦争下で自分の作風を変えていった画家が多くいたようです。それを批判的に見ることは簡単です。ですが、私は画風を変えてでも表現の場を守りたいと願った画家がたくさんいたように思います。画家にとって作品が作れない、発表できないことは死活問題です。そして画家という職の消滅を意味するものです。であるならば、今はなんとしてでも場を守りたいと思うのは当然のように思います。