関東地方は雨が多かったようですが、長崎はとても晴れ渡っていました。海も穏やか、軍艦島にいくにはぴったりの天気でした。
三菱の炭鉱があった軍艦島、その形が軍艦の土佐に似ていたからそう呼ばれていますが本当は端島(はしま)といいます。炭鉱のための工員や三菱の社員その家族たち、、多いときには5000人もの人々がここで暮らしていたということです。
ガイドしてくれた方はここで当時小学校の先生をしていた方でその当時の暮らしをリアルな言葉で語ってくれました。高度経済成長の中で三菱がいかに長崎にとって重要な会社だったのかが良くわかりました。
今日は五島列島に渡りました。風光明媚なこの場所でちょっと作品の取材をしていこうと思っています♪
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