AIと表現2

 AIについて考えています。AIは機械だから質の高いものを量産できるんだろうなぁ〜とか、絶対にスランプなんてないよな…とか、色々です。雨の日はいつもよりじっくり考えてしまいます。
 私は人間だから、浮き沈みがあるし多分意図していなくてもそれが作品に反映していると思います。でもそれが良い効果を生むか、悪い効果を生むかは一概に判断できません。混迷状態の絵がある人にとっては感動できるものになるかもしれないし、絶好調の絵が素晴らしいものとは限らない。その全てが私であり、作品だからです。多重人格ではありませんが人は色々な面があって、その人生を見るのが作品鑑賞の醍醐味のような気もします。

 ですから、結局同じ質をずっと保ち続ける作品は量産品と同じです。それが良いという商品(例えば生活雑貨とか?チェーン店の商品とか?)はAIでも良いのかもしれません。しかし絵画はそうではない、またそうであってはならないように思うわけです。かつて大量生産を象徴するような作品も作られました。しかしそれはその当時の社会に必要とされた表現だったからで、それを形にした人間の考え方に感じ入った人々がそれをアートと認めたのです。作品は機械的でも作者と鑑賞者は人対人だったのです。
 作品を通して人は作者を知りたいのではないかと思ってます。だから、私は私の思いを素直にあらわそうと画面に向かおうと思っています。

※作品はF4号(333×242mm)です。