顔の美醜もそうですが、体の比率の美しさも昔から問われてきた命題です。やはり理想の体はギリシャ彫刻にあるような人体なのでしょうか…。
右の人体図はとても有名なレオナルド・ダ・ビンチの「ウィトルウィウス的人体図」と言われるものです。ウィトルウィウスの『建築論』に基づいて、描かれた作品です。
いわく、
掌は指4本の幅と等しい
足の長さは掌の幅の4倍と等しい
肘から指先の長さは掌の幅の6倍と等しい
2歩は肘から指先の長さの4倍と等しい
身長は肘から指先の長さの4倍と等しい(掌の幅の24倍)
腕を横に広げるた長さは身長と等しい
髪の生え際から顎の先までの長さは身長の1/10と等しい
頭頂から顎の先までの長さは身長の1/8と等しい
首の付け根から髪の生え際までの長さは身長の1/6と等しい
肩幅は身長の1/4と等しい
胸の中心から頭頂までの長さは身長の1/4と等しい
肘から指先までの長さは身長の1/4と等しい
肘から脇までの長さは身長の1/8と等しい
手の長さは身長の1/8と等しい
顎から鼻までの長さは頭部の1/3と等しい
髪の生え際から眉までの長さは頭部の1/3と等しい
耳の長さは顔の1/3と等しい
足の長さは身長の1/6と等しい
…とのこと(ウィキペディアより)。とてもとてもこうはいきません。このルネッサンス期、人々は完全な美というものを建築、アート、哲学、すべての分野で目指しました。少しでも神に近づこう、楽園を具現化しようという気持ちからだと想像します。
私は、よく風景を描きます。そして題名に「理想郷」とか「シャングリラ」という名を付けます。私は自然を目にしたときそれをそのまま、すぐに描くことはありません。心に落とし込んで、昇華させる作業が必要になります。写真を使ったりスケッチを使用して画面とスケッチと私の三角関係で描き始めるのですが、最終的に画面と私だけの関係で描くようになります。多分描くうちに理想美がはっきりとしてきて、現実(写真やスケッチ)が邪魔になるのでしょう。
そう考えると、万人に共通した美の形を作ることは非常に難解で、エネルギーのいる作業だなあと感じます。またそれを目にした時、本当に私はそれを美しいと感じられるか?とも感じます。
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munta (水曜日, 27 6月 2018 12:34)
女性の肩幅は身長の4分の1にはなりません