私は、あまり人の美醜に対して敏感ではない気がします。これは美術を生業にする者にとっては致命的(!)でしょうか…。
思春期になると女の子は、自分を含め同世代の子の顔やスタイルに目が行き、「あの子がかわいい」「もてる」「きれいな髪-!」などという言葉が飛び交うようです。また異性に対しても、かっこいい先輩に目がキラキラする…なんてことが普通になります。振り返って私は本当にそういうことに鈍かったようです。「あの人かっこいいよね」と友人に言われて初めて「これがかっこよいというものか」と改めて見直すといった状態でした。
言うまでもなく、アートは美と切っても切り離せません。哲学として概念的な美が生まれたのは古代ギリシャからですが、人間は感覚的にいつも美を意識していました。ですが、美の価値観は時代、場所によって変化します。今日本では、やせた目鼻のはっきりした人が男女とも美しいとなっていますが、平安時代、日本では小野小町(写真左から3番目)に代表されるように、うりざね顔のしもぶくれがよしとされていました。太古の昔は、豊満な女性がよかったようです(写真右)。太れるほど、食料をもっている=富があるということだったからのようです。
初めに私は美がわからないと書きました。美はこれだ!という考えがないことはもしかしたら柔軟性があるということなのかなと考えていこうと思っていこうと思います。
※写真は楊貴妃、クレオパトラ、小野小町(世界三大美女)、土偶
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